たかやしきなかいたてあと
玉縄城に移った山ノ内俊清が天文13年(1544)以降に、弟の政詮に20貫文を与え、支城として築かせた館。険しい地形を活かした堅固な館です。地元では長い間古墳ではないか、ともいわれてきました。
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