たまなわじょうあと
山ノ内から分家した俊甫が、只見川と野尻川との合流点にある山地に築城した山城跡。城の名前は、山ノ内ゆかりの地である鎌倉北部に現在も残る地名“玉縄”からとったものと考えられています。
※金山町文化財のホームページでは、JavaScriptを利用しております。 現在、表示・一部機能に制限がございます。表示・機能を完全に活用したい場合は、ブラウザのJavaScript機能をオンにしてください。